第21回 「日本でアフリカ料理店を開く~西アフリカでの経験と今に至るまでの約30年間~」
講演日:2005年6月23日
講演者:石井恒夫氏
*ローズドサハラのHP
http://www.sahara.co.jp/
今回の学習会は、アフリカ料理店「ローズドサハラ」オーナーの、石井恒夫さんをお招きいたしました。
石井さんは約30年前、ODAの海外支援プロジェクトをきっかけに、西アフリカのギニアへ行かれました。
その後、アフリカ中央部の小さな国ニジュールで、サハラ砂漠の遊牧民と共に過ごされて帰国。
そして帰国後の1980年に、日本で初めてのアフリカ料理店「ローズドサハラ」を開かれました。
今、料理を通してアフリカを伝える石井さんに、アフリカの地で経験したこと、そして、これまでに出会ったアフリカの人々についてお話していただきました。
●初めてのアフリカ
「お金が無いけれど、ちょっと行った事がない場所に行ってみたい・・・。」
そう思っていたところ、新聞で、アフリカで働かないか?という求人広告を見つける。
それは、日本企業がODAで西アフリカのギニアに鉄道を造るにあたり、事前に現地で準備作業を行なう者を求める広告であった。
無事試験にパスした石井さんは、6ヶ月の契約で単身ギニアへ。共に働く現地の人々に対し仕事を割り振りたいのだが、皆が同じ顔に見えて識別できない。
名前も、特にイスラム教徒の人々の名前は覚えるのが難しい・・。
そこで、石井さんは人々に一郎から十郎までの仮の名前をつけることにした。
ある日、仕方なく飲んだ河の水にあたり、お腹を壊してしまう。
それ以来自分の健康管理を徹底するようにした。
体の調子が悪くては、適切な判断ができないからだ。
派遣されてくる日本人のために用意していた物資が、何重にも鍵をかけた倉庫から無くなってしまったことがある。
翌日、それらはブラックマーケットで売買されていた。
このような経験の中から、ここで行なうことは全て現状を受け止めた上で、現状を見ながら模索しなくてはならないと実感する。
当初は6ヶ月の任期であったが、「アフリカのことは、20年は住まないと語れない」という思いから、任期を延長。
4年間をギニアで過ごし帰国した。
●アラビアのはずが、再びアフリカへ
帰国して幾日か経ったある日、外務省からギニアで外交官として働かないかという誘いをうける。
だが、時を同じくして、試験を受けていたアラビア石油のプロジェクトからも合格の返事をうける。
悩んだ末、アラビア女性の美しさに惹かれ、アラビア石油行きを決める。
ところが、任地はアラビアではなくアフリカだった。
サハラ砂漠中央部のニジュールという国でウランの埋蔵量を調査するものである。
石井さんはこの地で7人の日本人・現地の人々と共に基地建設を行なうこととなった。
昼は50度、だが夜になると氷が張るという気候変化の激しい土地。
そして、現地の人々は遊牧民。
生活環境も習慣も異なるニジュールでは、毎日新しいことが起きていた。
●帰国して
アラビア石油のプロジェクトが一時中断。
日本にこの会社の正社員となって帰ってきた石井さんだが、アラビアで昼寝の習慣がついているため、オフィスでは他の人々と仕事のペースが合わない。
会社に通う為の満員電車にも慣れない。
いつかは会社を辞めることになると思っていた石井さんは、長男の誕生を機に、新しいことを始めて食べていこうと、アフリカ料理店を始めた。
「ローズドサハラ」である。
(書店で「男40にして起つ」という本を目にした石井さんは、やるしかないと心を決め、翌日辞表を出したのだそうだ。)
●ローズドサハラ
砂漠から持ち帰ったダイヤのように輝く石は、ローズドサハラという石だった。
石井さんはこれを店の名前にした。
日本でアフリカの各国大使館を巡り、各国の料理を教えてもらった。
お店でその国の料理を出せば、その国の宣伝にもなるからと。
チュニジア大使館を訪れた時、大使つきのコックと出会う。
石井さんは、もうすぐ大使と共に国に帰ることになっていたこのコックを店に迎える。
そして、彼によって本格的アフリカ料理店の基礎がつくられた。
コックに料理を任せつつ、石井さんはメニューや面白いネーミングを考えた。
例えば、雑炊(ぞうすい)をエレファント・スープという名前にして出したり・・・。
今では、様々な肉が南アフリカから直送される。あのモロヘイヤを日本で最初に食材として使ったのは、実はこのお店なのだという。
「この店にやってくる人は元気で前向きな人が多い。よい意味でくせのある明るい人ばかりだ。」
●石井恒夫さん
"石井"という名字は、古代の言葉で"おいしい"という意味を持つという。
"恒夫"は、"こうと決めたら変わらない人"という意味。
これだと決めて始めたアフリカ料理店、これは自分の運命だったのかもしれないと語る。
「事業的な(経済的な)成功はまだまだだが、自分自身が満足できるようになってきた。」
現在64歳。
あと5年は頑張りたいと思っている。
90歳くらいになったら、チュニジア辺り(砂漠の境界)にバラ園をつくりたい。
そしてまた、自分の経験を基にして、童話を書きたいと考えている。

